水子供養の真言宗成田山国分寺インスタグラム

お経の世界

お経の世界

「お経をお唱えするだけではもったいない」

お経の解説

 このお経は、宮城県仙台成田山で水子供養をする際に読経しているお経です。そのお経の解説の一部です。成田山へ水子供養に立ち会われる方や、水子供養をお願いしようと思っている方は、ぜひ、お経の解説に目を通されてから、水子供養に参列いただければと思います。

勤行式
お経の世界 懺悔文
「我昔より造る所の諸々の悪業は皆無始の貪瞋癡とんじんちに由る心語意より生ずる所なり一切我今懺悔したてまつる」
お経の世界 三帰礼文
「人身受け難し今既に受く 仏法聞き難し今既に聞く。 此の身今生に度せずんば、更に何れの生に於いてか此の身を度せん。 大衆諸共に至心に三宝に帰依したてまつる。
自ら仏に帰依したてまつる。 当に願わくは衆生と共に、大道を体解して無上意を発さん。 自ら法に帰依したてまつる。 当に願わくは衆生と共に、深く経蔵に入りて智慧海の如くならん 自ら僧に帰依したてまつる。 当に願わくは衆生と共に、大衆を統理して一切無礙ならん。」
お経の世界 十善戒
「弟子某甲 盡未来際 不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 不悪口 不両舌 不慳貪 不瞋恚 不邪見」
お経の世界 発菩提心真言
「おん ぼうちしった ぼだはだやみ」
お経の世界 三昧耶戒真言
「おん さんまやさとばん」
お経の世界 開経文
「無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭い遇うこと難し われ今見聞し受持することを得たり 願わくは如来の真実義を解せんことを」
お経の世界 仏説摩訶般若波羅蜜多心経
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩、依般若波羅蜜多故、礙、無礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経」
お経の世界 光明真言
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらはりたや うん」
お経の世界 ご法号
「南無本尊界会」「南無大師遍照金剛」「南無興教大師」
お経の世界 普廻向
「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に、仏道を成ぜんことを」

読誦どくじゅの御利益

 メインテーマは「お唱えするだけではもったいない」ということで順次、勤行式の解説をしたいと思っています。 読誦における枝葉末節部分の一部については省略しますが、これらのお経は毎朝お唱えして供養しているものであります。大本山成田山仙台分院ではこれらのお経のすべてを読経することを正式なものとしております。  まず、この「お唱えするだけではもったいない」というのは、何を意味しているかについて解説します。  お経を読むということを意味する読誦(どくじゅ)することが、どんなに読誦にはご利益があるかということについて述べます。 読むだけ、読誦するだけではもったいないので、この内容を少しずつ、一個ずつ解説を加えていきます。  まず、一番最初の開経文(かいきょうのもん)というところの解説からになります。 こちらの方にも書いておりますが、こちらは開経の偈(げ)となってます。 こちらの勤行式の方では文となってます。 それは何故かを説明いたします。 一応もう一回読誦します。 無常甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法(ほう)は、百千萬劫(ひゃくせんまんごう)にも遭あい遇おうこと難かたし。 われ今見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。 願わくは如来(にょらい)の真貫義(しんじつぎ)を解(げ)せんことを。 読誦したこれは開経偈です。 どちらも全く同じ意味なのです。 こちらの方は、漢字・漢文で書いてあります。 開経偈(かいきょうげ) 無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう) 百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう) 我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ) 願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)  という形になります。 こちらの意味から説明していきます。 この開経偈げの「開経」の中の経というのもは、経本のことです。  しかし、本当は読誦するのに解説というのは誰が聞いてもわからないといけないのです。 ですから、子供でもわかるくらいのレベルで解説していきます。  こういうお経を開くにあたっての偈(げ)ということですが、 偈という意味は詩などそういう感じでとっていただければよいのです。 ですから、お経を開くにあたっての詩とか、題とかということになります。  お経を開くにあたっての身近な「ことば」という形になります。 必ず、どのようなお経を読誦する場合も、これだけは独立しているような感がありまます。 どのお経の前にもこれだけは必ず付くのです。 書き下しでも、漢文でも、どちらでも結構ですしどちらでもかまいませんが、開経偈というのはどのお経でも読誦します。  講讃(こうさん)といいまして、釈尊の大変ありがたい「ことば」ですから、それを講義して賛嘆する、褒め称えるということになる訳です。 読誦といいまして、お経をあげるときなどの場合にも必ずお唱え致します。  私も千葉県の成田山で修行させて頂きました。 その授業が普通の学校のような形式で、どんな時間であっても授業が始まる時に、ここだけは読誦致します。  例えば、御詠歌(ごえいか)やお習字の時間でもします。 まず最初に読誦をして、それから授業を始めます。

お経の渡来

偈(げ)についてお話しします。 「梵語ぼんご」といいます。 中国から日本に渡来した仏教は、インドで2500年前にお釈迦さま、釈尊によって開かれた教えです。  日本でもよく解らない様な大昔の「ことば」が色々あります。 それと同じで、インドにも2500年とか2000年前の現地の「ことば」があります。 その「ことば」を梵語といいます。  梵語は、インドでも、大変有り難い「ことば」です。 そして梵語は詩の形になっており、お経が書いてあります。 それをインドの「ことば」で「ガーター」と言っています。 インドで仏教が興り、お経は中国のシルクロードを経て渡来、その後日本に渡来してきました。  ですから、日本に渡来したお経はもともとの「現地のことば」を「中国のことば」に漢訳しています。 そして、「ガーター」という言葉に「偈(げ)」という漢字を充てたわけです。 また、「偈」の他に、「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」と訳されています。  お経がインドから渡来した中国では、ありがたいお経を訳すときに、インドにならいました。 この部分(無上甚深微妙法)を「句」と言い、この句が何個か集まって「偈」となります。 そして、句は七字あるいは、四字に漢字を揃えます。 そのため、この開経偈は、きれいに七つに漢字を揃え、一句が七字で出来ており、それが四句集まり一偈となります。 ですから、お経は四句一偈の漢文の詩で作られているものです。 要するに、このお経を開く場合や講讃、褒め称えて興行する場合に、必ず付ける「詩」すなわち「ことば」であります。

次に内容についてご説明します。